第65回 助手席の笑顔
- ryublue0621
- 6 時間前
- 読了時間: 3分

落葉や植木の剪定後に出たゴミを詰めた袋がある程度溜まると、それを軽自動車のバンに積んで運動公園近くの市の環境センターに持ち込んでいる。その作業を長年、宮寺俊逸さんがひとりでやってくれていたのだが、ここ数年は自分もできるだけお手伝いをした。「運転頼むわ」と宮寺さんが言うので、僕がハンドルを握り、宮寺さんが助手席に。首が痛いらしく右側に顔を向くことができない宮寺さんに毎回シートベルトの装着を手助けするのも僕の役目だった。
KTGから環境センターまでの道中、往復10分もかからないわずかな時間だったが、宮寺さんといろいろなことを話した。テニスを始めた頃の話やガーデンに入会した当時のこと、若い頃の仕事のことなど。編集者時代のインタビュー取材の癖でここぞとばかりに宮寺さんを質問攻めにした。不思議なもので、自動車の狭い空間にいっしょにいて会話をしていると、それだけで親しみを感じてくるのに、その上、宮寺さんについていろいろなことがわかってくると、さらに親近感が湧いてくるのだった。
会話の内容はほとんど忘れてしまったが、クレーコートの整備の話になると宮寺さんの口調が心なしか熱くなったのでよく覚えている。使命感があるのだろうなと思った。会員たちのプレーを陰ながら自分が支えているというプライドもあったろう。
だから、2年前にクレーコートから砂入り人工芝コートへの改修工事をしてからは、大袈裟かもしれないが、宮寺さんの「生きがい」を奪ってしまったのではないかという思いがずっと自分の中にあった。
改修工事をしているときのこと。ある女性の会員さんが僕に「宮寺さんにコートが新しくなるねと言ったら、楽しみだなあって言ってたよ」と話してくれた。僕の思いを察してか、「時代の流れなのだし、仕方がないことだったんだよ」とその女性は言ってくれた。
宮寺さんの「楽しみだなあ」という言葉は、そのままの意味だったのだろうか。あるいは、長年続けてきた面倒な仕事から開放され、肩の荷が下りて思わず口から出た言葉だったのだろうか、それとも、新しいコートを楽しみにしている多くの会員さんの気持ちに水を差さないよう気を使ったのだろうか。今となっては確かめようがない。コートとクラブハウスの改修工事が終わってしばらくして、宮寺さんは体調不良を理由にクラブを辞められた。
葬儀の最後、息子さんがご挨拶の中で「こんなときにテニスに行くのかよ、とあきれたこともありました」というようなことを言っていた。おそらく宮寺さんはテニスをしに家を出たのではなく、雨や雪が降ったあとのコートが心配で出掛けたのではないかと思う。その姿を想像し、思わず涙がこぼれた。宮寺さんの仕事に対する姿勢を尊敬します。長い間KTGを支えていただき、本当にありがとうございました。
今は大石さんと中田さんが植木の剪定をしてくれている。砂場の前に白いゴミ袋がだいぶ溜まってきた。そろそろ環境センターに持ち込む時期だ。ゴミ袋を軽自動車に積み込み、ふと誰もいない助手席を見るたびに僕は宮寺さんのあの笑顔を思い出すことになるだろう。これからもずっと。

コメント